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ITヘルスケア学会講演から考える 製薬企業デジタル化の進め方

公開日

2023年02月20日

更新日

2023年02月20日

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2023年02月20日

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医療・ヘルスケアの分野はIT化、デジタルトランスフォーメーション    (DX)が喫緊の課題 であるといわれている。2022年10月に千葉市で開かれた「ITヘルスケア学会第15回学術大会 」でのシンポジウム「製薬企業が挑むDX―未来の医療を創る新たな挑戦(座長・井上祥・メディカルノート代表取締役)」では、DXに取り組む製薬企業から3人が、さまざまな事例や今後の展望、未来の医療のあり方などについて講演した。その概要を報告する。

「中外製薬のデジタルトランスフォーメーションへの挑戦」

中西義人さん(中外製薬デジタルトランスフォーメーションユニットデジタル戦略推進部長) 

「デジタルありき」ではなく、デジタルをどのように組み込んで、ビジネス価値を最大化するかが大事だ。われわれが考えるデジタル化は

  • Digitization:アナログ情報のデジタル情報への変換
  • Digitalization:データを使ってビジネスプロセス、モデルを変えていく
  • Digital Transformation(DX):社会全体のあり方を変える

――の3段階があり、DXまで挑戦していきたいと考えている。

ヘルスケア業界ではさまざまな変化がデジタル技術によってもたらされているが、創薬において、従来の“勘と経験と度胸”による創薬からAIを活用した創薬ができるようになっている。

医薬品の領域では提供価値の二極化が起こっている。1つはヘルスケアコストの上昇に対応するもので、ジェネリック医薬品がそのニーズを満たしている。もう1つは治療方法がない疾患に対するニーズ(アンメットメディカルニーズ)で、革新性の高いこれまでにない新薬がそのニーズを満たしている。中外製薬は後者の新薬の創出に特化している研究開発型の企業である。

新薬創出を取り巻く環境は厳しく、一般的に、研究開発コストは年々上昇している一方で、新薬創出の成功確率は横ばい、もしくは下がっている。結果としてR&Dの生産性が年々下降しているのが実態だ*。製薬業界としては、この下降トレンドを、デジタルを使って何とかしたいと考えている。

1つの試算によると、基礎研究から承認まで、従来のプロセスだと期間が13年、費用が約1200億円、成功確率0.004%だったものが、AIを活用するとそれぞれ9年、約560億円、0.04%となると示されている**。AIに加えてさまざまなデジタル技術を使うことで、さらに高い効果が見込める。

中外製薬は2021年に新成長戦略「TOPI2030 」を掲げた。ゴールとして、「R&Dアウトプット倍増」、「自社グローバル品毎年上市」を掲げている。そのキードライバーとしてDXを位置付け、経営戦略のど真ん中に「デジタル」を置いている。

一番やりたいことは、デジタルを使ってこれまでの中外製薬の強みの1つである創薬をより強くすることだ。▽AIを活用した創薬プロセスの革新▽リアルワールドデータ(RWD)の活用▽デジタルバイオマーカーの活用――がその3つの柱となる。

具体的な事例として、抗体創薬への機械学習活用を紹介する。抗体はアミノ酸の配列によって構造、活性が決まる。機械学習によって提案されたアミノ酸配列に基づいて実際に抗体を作って実験したところ、研究員のアイデアに基づいて作成した抗体と比較して、同等以上の活性を持つ抗体が実際に作れるようになってきている。

画像解析での利用も進んでいる。さまざまな病理組織500スライドを研究員が1枚1枚目視で解析すると7000日かかるところを、AIは1日で終わらせる。さらに、定性的な状態変化を数値化して定量的に表すことができる。それによりほかのデータと統合解析して病態をより深く理解できるようになってきている。

臨床試験にRWDを活用し、効率化する ことも検討している。通常の臨床試験はコントロール群と新薬群でランダム化比較試験をし、新薬がより良いというデータが出れば承認されるシステムだ。このうち、コントロール群は、病院で受けている標準治療が用いられるケースがあるので、標準治療のRWD、つまり、標準治療が実際の医療現場でどう使われていて、どのような副作用と効果が得られているかのデータがそろっていれば、臨床試験のコントロール群の一部代替となる可能性がある。コントロール群の削減により、患者さんの治療機会逸失を防ぐと同時に、臨床試験の効率性を上げ、より早く新薬を患者さんに届けることができる。

「デジタルバイオマーカー」とは、スマートフォンやウェアラブルデバイスから得られるデータを用いて、病気の有無や治療による変化を客観的に可視化する指標だ。デジタル技術により従来の方法では得られなかったデータを取得・解析し、日常診療および医薬品の研究開発に活用することが期待されている。

中外のデジタル戦略を進めるためにはデジタル人財の獲得・育成・強化は重要であると考えている。これから求められる人財は「デジタルセンスを持ったビジネスの専門家」「ビジネスセンスを持ったデジタル技術の専門家」だ。そうした人財を育成するための教育体制を社内に構築し、これまでに100人以上の卒業生を輩出している。

* Deloitte ”Measuring the return from pharmaceutical innovation 2020”(グローバル大手12社を対象)

** 「第3回 保健医療分野におけるAI活用推進懇談会(平成29年3月)奥野構成員提出資料」(厚生労働省)

「製薬系ベンチャー企業のDX」

綱場一成さん(アキュリスファーマ代表取締役社長兼共同創業者)

われわれは2021年1月に設立したばかりの若い製薬企業である。本講演では、製薬ベンチャーにおいて新たな企業カルチャーの醸成やビジネスモデル構築にデジタルをどう活用しようとしているかをお話したい。

アキュリスファーマは、欧米では当たり前のように使われている新薬が国内では使えない、いわゆる「ドラッグロス」を解消し、革新的治療薬を日本に導入し開発する目的で設立した。PMDA(医薬品医療機器総合機構)による承認期間短縮もあり、過去10年ほどで「ドラッグラグ(海外で既に承認されている薬が日本国内で承認されるまでに、長い年月を要するという状態)」は解消されてきた。一方で、直近海外で承認された薬剤のうち日本では開発すらされていない薬が70%にのぼる。背景には、新薬の開発元がメガファーマから欧米のベンチャーに移り、各国に足場のない彼らには国際共同治験が難しいことがあげられる。FDA(米国食品医薬品局)のデータでは、2020年に承認された53薬剤のうち43がベンチャー発だった。これらは市場規模の大きい米国、欧州での開発が優先され、日本での開発が進まない。このように拡大しつつあるドラッグロスの問題を少しでも解消し、日本の患者さんに必要な医薬品を届けたい。

もう1点、アキュリスは神経・精神疾患に特化しているのが特徴だ。外国では1つの疾患領域に特化した「スペシャリティーファーマ」という製薬企業のジャンルが確立されているが、日本では珍しい。アンメットメディカルニーズが高く、かつ開発が難しい神経・精神疾患にコミットすることで、新たな医療手段への橋渡しをしていきたい。

我々が医薬品開発を進める疾患領域の1つに睡眠領域がある。日本において睡眠不足に関連して生じる経済的損失はGDPの3%に当たる15兆円に及ぶ。このような社会課題に、医薬品の開発にとどまらず取組み、国民の睡眠に関する問題の解決に結びつく活動ができればと考えている。

また、もう1つの開発領域であるてんかんについては、発作が起こったとき、医療機関外でも安全を確保しながら適切な処置ができる――医薬品を中心にそのようなエコシステムを構築することも1つのゴールになっている。

上記のような活動を、デジタルテクノロジーやデータの活用、また適切なパートナとの協業を通じ実現し、医薬品以外のソリューションを含めて提供することで日本の社会課題を解決していきたい。

少し視点を変えて社内のお話をしたい。弊社のようなスタートアップならではの特徴として、ゼロベースで会社のインフラを作ることができる。実はこのインフラが会社のカルチャーを決めるほどに重要な要素だと思っている。

例えばアキュリスでは社内の連絡手段としては、Slackを活用している。メールは原則禁止。Slackは誰でも同じ情報を同時に見ることができ、社内の雰囲気はフラットでオープンになっている。使い始めてから会議が大幅に減り、現在、唯一の定例会議は週1回開催している全社員参加の「経営会議」だけだ。

また、資料作成や活動の可視化にはNotionを利用している。記入するとそれ自体がプレゼンテーション資料になる。資料は前述の経営会議の冒頭10分で全員が黙読し、補足が必要なところだけを口頭で説明し、議論する。利点は発表スライドや議事録を作る必要がないこと。社外のステークホルダーとのミーティングでもNotionで議事録を取り情報を社内で共有できる。

冒頭に述べた通り、欧米では新薬の開発元がベンチャー企業に移ってきている。アメリカの市場を見ると、この50年の間にジェンザイム、ジェネンテック、アムジェン、ギリアド、モデルナ……といった新しい製薬企業が設立された。それらはすべてベンチャー企業として始まった一方、日本ではその間に製薬企業が興っていない。われわれのようなビジネスモデルが製薬業界に一石を投じ、新しい製薬ベンチャー企業が興り、業界が活性化することを願っている。

「製薬企業のDX」

宮本繁人さん(ブリストル・マイヤーズ スクイブ オムニチャネル戦略統括) 

ヘルスケア、製薬業界のデジタル化は遅れている。どうするとより良い情報提供ができ顧客満足度を高められるのか。自分はマーケティングが専門で、その本質は伝えたいことを深く広く伝えることだと思う。

これからは「ブロックバスター」といわれるような大ヒット薬はなかなか出てこない。今後は希少疾患に注力した薬を数多く出していく時代になっていく。過去50年の製薬業界の成功、コマーシャルモデルはMRがいて、病院に対して大量の情報を提供する戦略を取っていた。しかし、希少疾患に対するセグメント化された市場に同じモデルは通用しない。そこにデジタルへの期待値があるのではないか。

その1つとしてLINEを活用した医療のDXを進めている。医師が病院でスマートフォンを使いコミュニケーションをするのは当たり前になっている。そこに広告メディア、コミュニケーションスペースとしての“隙間”があるのではないかと考えた。製薬業界のメディアはいまだに“不動産広告モデル”で情報提供をしている。つまり医師のニーズに基づくのではなく、広告主である製薬企業に対して「いくら払えばこの場所に情報を載せるか」というやり方だ。これは必然的に変わっていくだろうし、ユーザーも変化を求めている。

デジタルの本質は「複製ができる」ことだ。それによってほぼゼロのコストで配布でき、大量配布が可能になり、カスタマイズが簡単にできる。大量配布とパーソナライゼーション、つまり個々のニーズに合ったものをデジタルでどう提供するかが製薬会社側の課題だ。パーソナライゼーションのためには医師、患者のニーズが一人ひとり違うことを理解し、サプライ・デマンドの両方から努力することがデジタルの一番の活用法ではないか。これがDXの本質だと考えている。

とはいえ、課題はたくさんある。

1つはデータの「garbage in / garbage out」という課題だ。実際には、データには全て価値があるが、ストラクチャーとデザインができていないとデータは活用されないままどんどんたまっていく。それらにもう一度意味を付与することを取り組みの1つとしてやっている。

もう1つは、課題の本質の見極めだ。そのためにEthnographyというのをやっている。これは民族誌学とか記述人種学などと訳される。例えば、どんな車がほしいかを尋ねると、高級外車という答えが返ってくるが、実際に乗っているのは国産車だったり実用的なSUVだったりする。ほしいものと実際に持っているものでギャップがあるのは日常でもよくあることだ。それをどう近づけるか。イノベーションの本質というのは、ユーザーの課題を解決することなので、それを実現するためにどうすべきかの面で、Ethnographyを取り入れている。

自分が見えているもの、他者が見ているもの、自分にも他者にも見えていないブラインドスポット――問題をいかに自分の中でフォーカスし、どこの領域でイノベーションとして使っていくか。それが差別化と均質性の戦いの1つの解と思っている。
 

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